皆清館館員心得のひとつに「忍の一字を以て修行すべし」とある。
この「忍」とは、如何なるものかを考えてみよう。
字を見てみると、忍とは「刃(やいば)」の下に「心」と書かれてある。我々は、この刃の下の心を
もって空手を学ばねばならぬ。
まず、刃とは何か。鉄を、鍛えて、鍛えて、鍛え抜いたものが刃である。一触、直ちに人の命を絶つ
刃の鋭利さ。特に日本刀の切れ味は格別だといわれる。では、なぜ日本刀は良く斬れるのか。日本刀
は、二万回も丹念に打ち鍛え、しかも、そこに魂(心)を入れてこそ、一触、人の命を絶つほどの鋭
利な刃ができあがる。
空手を、忍の一字を以て修行するということは、簡単な直突きでも二万回やるということを意味する。
特に道場においては、指導された技のひとつひとつを、納得いくまで必ず数をやること。それには、
自分で向上心が大切である。ろくに数をやらず、あれこれ指導されても、かえってマイナスとなり良
い結果は出ない。
「鉄を鍛える」ということは、鉄を熱して叩いて鉄の中の不純物を追い出すことである。熱い鉄を叩
くときに出る火花は、鉄の中の不純物が追い出される姿である。我々は、二万回の直突きの中で、二
万回の上げ手の中で、二万回の手刀打ちの中で、、、我々の心の中の不純物を追い出さねばならない。
弱い者を打ってやろうとか、苦しいからやめてしまいたいなどという、汚い心を捨て去り、本当に清
い心を作ること。
この「刃の下の心」こそが、忍の精神であり、我々空手修行者の心構えの中で一番大切なものである。
                            

清拳