拳を握る心

人はこの世の中に生まれる時は必ず拳を握っている。
その握り方は大体拇指を他の4本の指で握り込んでいるという。
この握り方は柔術で多く使う。中には空手の正拳の様に拇指を外にして握っている児もあ
る。
いずれにしても赤ん坊は西も東も分からないが「何かを為そう」として拳を握って生まれ
てくる。
其の「何か」の中にはまず「活きる」ことがある。活きんが為に拳を握って生まれてくる。
人間は死地に入れば必ず拳を握って起ち上がる。赤ん坊は活きる為に色々の危険がある。
たとえ其の危険を親が守ってくれるにしても拳を握って生まれてくる。
そして其の赤ん坊は将来如何なる名誉を得、富を得、権力を握るかもしれない。しかし吾
々は15才になり、20才になり、相当な予期力と認識力を持って意識的に拳を握り空手
を学ぼうとする。
その時如何なる心を持って拳を握るべきであるか。ただ単に人を倒す為とするのでは邪道
たるの批判を免れない。
吾々は拳を握り拳を突き出す中に「人としての活きる道」、「人としての踏むべき道」を
求めるのである。
赤ん坊は何も分からずに活きようとして拳を握って生まれて来る。吾々は「人の踏むべき
道」を求めて拳を握らねばならない。ここにいう「人の踏むべき道」とは日本人としての
国民常識を思えばよろしい。分かりやすくいえば道を歩くには危険のないように歩けばよ
ろしい。其れには道路横断は横断歩道を歩けばよし、他人の危険迷惑を考えれば自動車の
スピードは規定以上には出さない方がよろしいということ。進んで自分の行為が日本の為
になるならば最高の道と言える。
私も空手という日本文化の一端を担うものを益々発展させ、より良い物を後世に残そうと
志している。金を貯めたり、名を残す事は次の事でよろしい。悪いことをして成功しても
本当の心の安らぎは得られない。この様な見方から拳を握る修業をしてこそ拳が一つの人
格となって人間味溢れる人となることができる。
従って皆清館宣言にも「拳の修業は心の修業」といい「人間性の充実」といっている。そ
して其れが「社会生活に対する信念」でもあり、「地位の向上」ともなり、人の世に強く
正しく生き抜くことができる。これが拳を握って空手を修業しようとする者の心でなけれ
ばならぬ。
反対に人の死す時は必ず掌を開いている。即ち総ての富も地位も権力も投げ出して永遠の
旅に出る時は拳を解いていく。
従って吾々は此の世に生ある限り意、無意のうちに拳を握っている。ここに空手の修業者
は拳を握ることより己の生命を握り、己の生命力をより強くする為に生涯努力せねばならぬ。
「拳は個性の道である」から拳を修める者の姿は孤高な独歩の人に見える。又「拳の道は
和の道」でもあるから、人の世に生き抜いて行く心を得られるならば日本人の心の中に何
か捨て切れない詩を作り出すであろう。
これが「拳を握る心」でなければならない。                

                            

清拳